『ジョーカー』★★★★★
ドルビーシネマで視聴。
ドルビーシネマは何度見ても、『これがほんものの黒』ドンッ!でいちいち感動します。
さて、話題の『ジョーカー』主演はホアキン・フェニックス、スタンド・バイ・ミーのリバー・フェニックスの弟さんです。個人的には『ヴィレッジ』の印象が強いです。目力がある俳優さんだなと思います。バットマンの名悪役、ジョーカーが生まれるまでを描いた映画です。
ジョーカーの生い立ちを描く
物語の舞台はもちろん犯罪と欲望が渦巻く街、ゴッサムシティです。
ジョーカーの生い立ちや背景をうまく描いています。
実写ジョーカーと言えば、ヒースレジャーの名演が光る映画『ダークナイト』が強烈でしたね。『ダークナイト』では、ノーラン3部作に登場するヴィランの中で唯一犯罪の動機や背景等が描かれていませんでした。
動機や背景等が描かれないことで、純然なる悪として描かれることで、ある種のカリスマ性を持たせてあったジョーカーの背景が、今回はしっかりと説明されています。
演出面では全体的に暗い雰囲気の映画となっていますが、ジョーカーや取り巻きピエロの派手な色彩が陰鬱な雰囲気の中でアクセント色になっていて、映画に非日常感やカリスマ感を与えていると思います。
また、家路につくアーサーが階段を上るシーンでは悲壮感漂う背中であったのにも関わらず、日の光とともに完全なジョーカーとなったアーサーがステップしながら階段を下りるシーンでは、悪でありながらももはや神々しさがありました。
社会へ投げかけるメッセージ①貧困の差に関して
メッセージ性の非常に強い映画だと思います。
考えさせられるシーンや題材が多かったです。
映画では、社会に抑圧されたアーサーが次第にジョーカーに変貌していくわけですが、ジョーカーが生まれるきっかけは貧困や差別、家庭環境などの要因が大きいように描かれています。そして、ウェイン財閥もジョーカーが生まれるきっかけとなっているところが面白い設定です。
犯罪は許されるものではありませんが、貧困の差によって悪が生まれるのだとすると、富裕層が欲望のままに貧困層を虐げることが悪を生み出す一つの要因となっている・・・とも読み取れるような演出となっていました。
社会に投げかけるメッセージ②障がい者に関して
障がい者もテーマにしています。
劇中でアーサーが日記を書いていました。
「心の病なんて病気はない、人は普通にしろと言うが、普通になんてできない」といった趣旨の内容でした。
誤解を恐れずに言いますが、私達は障がい者に対して、理解できないことが多いと思います。
それは、自分が健常者であるから、(健常者という言葉自体もマジョリティということになりますが)障害を持った方の気持ちを奥深くまでは知ることができないためだと思います。
そもそも人は相手の気持ちを100%知ることはできないでしょうから、それぞれの身体的、精神的特長に大なり小なりの乖離がある健常者と障がい者ではなおさら困難でしょう。
しかし、互いを知ることができなくても、知ろうとする姿勢や意欲が重要なのだとこの映画は言っているように思えます。
アーサーは劇中でカウンセラーに「あなたはいつも私の話を聞いていない。」と責めるシーンがありました。
確かに私達も、フィルターを通して見てしまうことで、障害を持つ方の話を素直に話が聞けないことが多いかもしれません。
またジョーカーは「自分の人生は喜劇だ」と主張し、「人を殺して何が喜劇だ?」の問いかけに対して「喜劇なんて主観だろ」と答えるシーンがありました。
私はこの主張自体は全面的な否定はできないと思いました。
現代は「人それぞれ」「十人十色」「世界に一つだけの花」(ちょっと古い?)なんていう言葉がそこらじゅうにはびこっています。それだけ多様な人間がいれば、ある出来事を喜劇と感じる人もいれば悲劇と感じる人がいるということは当然ありえることだと思います。
しかしながら、そこには当然多数派と少数派が存在します。
もちろん多数派だから良いということではありませんが、社会が形成されている以上、圧倒的少数派はどうしても淘汰されてしまうものだと思います。
すると、圧倒的少数派は一体どうやって生きていけば良いのでしょうか。
私の中では納得のいく答えが出せませんでした。
とはいえ、犯罪は許されるものではない
この映画は犯罪や殺人が許されるべきものかどうなのかということへの確信的な答えは、(恐らくあえて)明言していないように感じます。その答えは見ている側に委ねられているのでしょう。
私としては納得のいく答えはでないながら、どれだけ世間にひどいことをされてきたのだとしても、殺人は許されるものではないと考えました。
それは、いかなる理由があろうとも、人は他人の意思を尊重することなく、命を奪う資格はないからです。
しかしながら、圧倒的少数派を排除することも排除の方法によっては、殺人といえることもあるかもしれません。すると、圧倒的少数派を排除する資格もまた、私達人間にはないのかもしれません。圧倒的少数派への正しい対応が答えを出しづらいところです。
社会不適合者という多数派のための言葉、多数であることを盾に、圧倒的少数派を排除する社会、世界はどうなるのが正しいのでしょうか。
本当にそれぞれが輝ける世界は実現できるのでしょうか。
いや、困難であっても実現すべきなのではないでしょうか。
考え始めると悶々してしまいます。
非常に難しいテーマを扱う作品でした。
ぜひあなたも自分なりの答えを探してみてはいかがでしょうか。
『ジョーカー』は単なる犯罪を美化する映画ではありません。
社会へのメッセージを込めた素晴らしい作品だと感じました。おすすめです。
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